NHKの候補者アンケートに『未回答』だったり、当選時のテレビ出演対応などで注目を集めている生稲晃子(いくいな あきこ)参議院議員。
私個人的には、“タレントで顔を知っている” 程度でしか、彼女のことを知りません。
参院選に出馬した時は、「芸能人として顔が売れているから、選挙に引っ張りだされたのかな」くらいの感想しか持ちませんでした。
直近では、旧統一教会との関係が取りざたされ、ほとんど良い話題がありません。
生稲晃子議員は、なぜ政治家になろうとしたのでしょうか。
立候補した時の動画などから、その本音の部分を確認してみたいと思います。
政治家を目指した理由
生稲晃子議員は、18歳で芸能界にデビューし、芸能生活36年をむかえています。
彼女にとって大きな人生の転機になったのが、42歳の時のことです。
すでに結婚をして、子供が1人いました。
乳癌発症と闘病
健康診断をうけ、その結果、乳癌の告知を受けます。
それまで、まったく自覚症状はなく、仕事と家事の両立をしていた時でした。
本人がショックを受けたことはもちろん、5歳の娘は「ママの入院は嫌、ママが死ぬのは嫌」と号泣されてしまいます。当然といえば当然です。
「この子のためにも病に打ち勝ちたい」そんな思いから、癌との闘病が始まりました。
それから2度の癌再発、5度の手術を経験しました。
治療中しばらくは癌であることを職場では伝えず、内緒にしていた生稲晃子議員でしたが、「何か違う」という思いがあったそうです。
そして癌発症から4年半年を過ぎた頃、乳癌であることを公表しました。
後々この乳癌の公表が、また人生の転機となります。
民間議員としての実績
癌公表から1年も経たない頃、当時の安倍政権から『働き方改革実現会議』の民間議員になってほしいとの依頼が、生稲晃子議員にあります。
2016年のことです。
『働き方改革実現会議』とは、働き方の改革を実現するため、安倍首相が自ら議長となって設置された諮問機関です。

産業界や労働界、大学の教授など15名の有識者の意見を取り入れ、翌年作成する『働き方改革行動計画』に生かすという会議です。
その中の一人として、癌闘病と仕事や子育てを両立してきた生稲晃子議員が選ばれたのです。
会議で生稲晃子議員が提案したのは、病気の治療と仕事の両立支援をテーマにした『トライアングル型支援』でした。
『トライアングル型支援』とは、主治医と企業側とその二つをつなぐ両立支援コーディネーターを育成し、その三者が闘病で苦しむ労働者を多方面から支援するという仕組みのものです。
結果としてこの『トライアングル型支援』は、安倍政権で『働き方改革行動計画』に盛り込まれることになります。
自分の提案が、実社会において生かされるかもしれない、そのことに対する喜びと当時に、やりがいを強く感じたと、生稲晃子議員は当時のことを振り返っています。
これが正に、政治家になりたいと思った生稲晃子議員の原点です。
この提案をきっかけに始まった両立支援コーディネーターは、2020年末には育成目標の2000名に達成し、2022年3月末現在、1万2000名を超えています。
飲食店経営者として
生稲晃子議員は、経営者としての顔ももっています。
六本木にある『佐吉』(お好み焼き・鉄板焼き)のオーナーです。
新型コロナウイルスの蔓延により、生稲晃子議員の『佐吉』も例にもれず、時短営業や酒類提供ができない期間があり、苦しい営業を強いられてきました。
時短営業していてもお客がこない状況が続き、食材の仕入れを止めようかと思った時もありました。
でも、自分達だけではなく、いつも食材を届けてくれる業者さんも、きっと今苦しい状況にあると考え、仕入れを続けたそうです。
コロナ騒動の飲食店経営により、生稲晃子議員にとっては、小規模事業者の事情や気持ちをより理解する機会になったのではないでしょうか。
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