先日おこなわれたMGCでは、中村匠吾選手が優勝を果たしました。
MGCとは、『Marathon Grand Championship』の略で、日本陸連では「指定された競技会の上位入賞者が一堂に会する『選考競技会』を開催し、その大会の上位入賞者を日本代表に即時内定する」と唱っています。
過去には、マラソン種目におけるオリンピック選考方法に、疑義を唱える人達がいました。
古くは、ソウル五輪(1988年)選考の際の中山竹通選手。
その対象となったのは、現在日本陸連のマラソン強化戦略プロジェクトリーダー務めている瀬古利彦氏でした。
瀬古利彦、中山竹通、宗兄弟など、強豪がひしめいていた日本男子マラソン界では、一発選考レースを企画しますが、瀬古利彦選手がケガで出場できなくなってしまいます。
結局、共済措置が取られ、その後の大会で優勝した瀬古利彦選手が、三枠目の日本代表に決まりました。
バルセロナ五輪(1992年)の選考でも、問題がおこりました。
歴代日本記録を塗り替えた松野明美選手(ただし大会では2位・初マラソン)が選ばれず、実績のあった有森裕子選手が選ばれたのです。
最近では、福士加代子選手が五輪派遣設定記録を上回って優勝しても、すぐに代表決定とならずに、ひと悶着ありました。(結果的には代表入り)
そのような歴史を経て、様々の努力の結果、今回のMGCが企画されたことは、本当に良かったと思います。
そのMGCで、見事な結果を出したのが、優勝した中村匠吾選手でした。
中村匠吾選手の経歴
中村匠吾選手は、1992年9月16日、三重県四日市市で生まれました。
身長172㎝、体重55㎏。
三重県立上野工業高校を卒業し、駒沢大学に進学します。
駒沢大学では、三年生時に徐々に頭角を現し、出雲駅伝や全日本大学駅伝では1区を任され、共に区間賞を獲得しました。
駒澤大学卒業後は富士通に入社し、もちろん陸上部に所属します。
中村匠吾選手の強み
中村匠吾選手は富士通に就職してからも、大八木弘明駒大陸上部監督からの指導を受けています。
今回の優勝で有名になった話ではありますが、駒沢大学3年生の時、中村匠吾選手は大八木監督から、「マラソンで五輪を目指そう。一緒にやらないか」と声をかけられ、胸を打たれて一緒に頑張ってきたそうです。
中村匠吾選手の強みは、どんなところなのでしょうか?
中村選手を知る人達は、「おとなしく無口だが、芯が強い」と彼のことを言います。
見た目からも、黙々と努力を積み重ねるタイプと、見受けられます。
富士通に入ってからは、インターバル走をうまく組み合わせるなどして、中村選手の持ち味であるスピードを殺さず、マラソンで戦える身体を作り込んできました。
長いラストスパートに耐えられる身体とスピードを、この期間に作っていたのでしょう。
2015年の富士通入社からおよそ3年後、初マラソンは2018年3月のびわ湖毎日マラソンでした。
このレースの結果は総合7位でしたが、日本人ではトップでゴールします。記録は、2時間10分51秒でした。
その後、同年9月のベルリンマラソンに出場し、ここでも日本男子ではトップの総合4位に入賞しました。この時の記録は、2時間8分16秒です。
そして今回のMGCが、三度目のマラソンでした。
今だ、日本人には負けていないことになります。
中村匠吾選手は、汗をかかない体質です。これは、身体にたまった熱を外に逃がす力が高いからと考えられます。
体温も上がりづらいので、パフォーマンスを維持できる特長をもっています。夏場でも移動中の車のエアコンを「寒い」と言って嫌うといいます。
暑さに対しての対応力が、他の選手と比較しても高いのです。
その反面、寒さには弱いのですが、今回のMGCや来年に控える東京オリンピックには、抜群の力を発揮できるのです。
2020年の8月9日、中村匠吾選手はどんなレースを見せてくれるのでしょうか。
今から楽しみです。
ピンクのシューズは何?
MGCに出場した選手の多くが、ピンクのシューズを履いていました。最初見た時は、主催者が指定してシューズなのかと見間違うほどでした。
このピンクのシューズは、『NIKEズームX ヴェイパーフライ ネクスト%』です。



こちらのシューズは、通称 “厚底シューズ” と呼ばれ、ランニング時の足への負担を軽減してくれるシューズです。
『ヴェイパーフライ ネクスト%』は、ひとつ前のモデル『ヴェイパーフライ 4%』を更に進化させたもので、今回MGCに出場した選手30名のうち、なんと16名が履いていました。
ピンクの新色モデルは、この日のMGCの大会に合わせて、NIKEが9月15日に発売を開始していますが、もう既に在庫がなくなっているかもしれません。
関心のある人は、早目にお買い求めを。
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