西村康稔大臣の人柄や評判を確認してみる 将来の首相候補となりえるか

西村康稔1 政治家

安倍政権時に、経済再生担当大臣と新型コロナ対策担当大臣を務めた西村康稔議員が、岸田政権では経済産業大臣に任命されました。

重要閣僚の一つである経済産業大臣に就き、しっかりと結果を残して、次のステージに進みたいところです。

岸田政権の支持率が下がり続ける状況で、“次の首相に相応しいのは?” という世論調査もまた目にするようになってきましたが、西村康稔議員にもその可能性はあるのでしょうか。

西村康稔議員の人柄や評判など含めて、調べてみたいと思います。

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西村康稔議員の経歴

まず簡単に経歴を確認します。

1962年10月15日生まれ、兵庫県明石市で育った西村康稔議員は、現在57歳です。

灘高等学校、東京大学法学部を卒業後、1985年に通商産業省(現・経済産業省)に入省しています。

学生時代は、中学で陸上部、高校で野球部、大学ではボクシング部に所属し、体育会系という一面もあります。


1999年7月、通商産業省退官後には、原健三郎衆議院議員(当時)の秘書を務めました。

この期間は明石市出身の西村康稔氏が、兵庫県9区(明石市と淡路島の3市)を基盤とする、原健三郎衆議院議員の後継となる期間といえます。

選挙区事情もあり、無所属で初出馬した2000年には落選を経験します。しかし次の2003年には無所属で初当選、その後、自民党入りを果たしました。

国会議員として

現在は衆議院議員7期目で、派閥は安倍派に属しています。(2022.8月現在)

選挙基盤の兵庫県9区は保守層が強い地域です。自民党に逆風が吹いた2009年の衆院選でも、西村康稔議員は次点の候補者に、ダブルスコアに近い得票で当選しています。

その勢いもあって、2009年9月におこなわれた自民党総裁選に、46歳で立候補しています。自民党が下野した時ということもあり、若手の同い年の河野太郎議員も立候補しました。

結果は西村康稔議員の惨敗で、議員票と地方票いずれの票でも大差で、谷垣禎一議員(当時)が総裁に就任しました。


ちょっと前後しますが、西村康稔議員が政府の一員に名を連ねたのは、当選3期目の2008年でした。福田康夫改造内閣で、外務大臣政務官に就いています。

4期目には内閣府副大臣に就任、5期目には政務担当の内閣官房副長官に起用され、着実に政府内で経験を積んでいます。

6期目は初の大臣就任で、しかも新型コロナウイルスの影響により、新型コロナ対策担当大臣を兼務し、広報官のような役目も果たしています。

今後、重要閣僚や自民党内三役を経験し評価を受ければ、将来の首相候補になれる可能性はあります。

派閥での立場

先ほど、派閥は安倍派に属していると書きました。

安倍派の正式名称は、『清和(せいわ)政策研究会』です。自民党内の最大派閥で、100名近くの国会議員が所属しています。

安倍元首相は亡くなり、2022年7月21日に派閥の総会が開かれましたが、その場で後継者を決めることができませんでした。

総会では、しばらく派閥名称を変えないこと、後任の派閥会長は空席にすることが決定しています。

将来においては、西村康稔議員も派閥の長になる可能性はあると見る識者もいます。
派閥内には、同世代の萩生田光一議員や世耕弘成議員が、ライバルとして存在しています。

  『萩生田議員の派閥は? 安倍元首相との関係

西村康稔議員の人柄や評判

国会議員として着実に経験を積んでいる西村康稔議員は、どんな人柄で、自民党議員仲間や周りからはどのような評判なのでしょうか。

西村康稔2

最近の記事を参考にすると、西村康稔議員は、かなり “おしゃべり” であるということです。

【週刊文春2020年4月16日号】
安倍晋三首相のスピーチライター、佐伯耕三首相秘書官の最近の口癖は「どうせ、あの『おしゃべり大臣』だろう」。何か情報が漏れると、経済産業省出身の大先輩でもある西村氏が番記者らに裏話を語っているとの見方を披露する。

官僚トップの杉田和博官房副長官も西村氏は「ペラペラしゃべりすぎだ」と手厳しい。

この記事以外に、他の証言は見つけられませんでしたので、安易におしゃべりと決めつけるのもどうかと思いますが、たしかにテレビ出演した際の話しぶりからすると、そんな雰囲気は感じられます。


また、以前批判されたことの一つが、“軽率だ”という点です。

それは2018年7月の出来事でした。

西日本で広範囲な豪雨の被害が予想され、気象庁は7月5日午後2時に「記録的な大雨になる恐れがある」と会見を開きました。

その夜、赤坂の衆院議員宿舎内で、定例の自民党議員の懇親会が開かれたのです。

その時の様子を写真添付してツイートしたのが、西村康稔議員でした。まだ豪雨による被害が大きく出ていたわけではありませんが、タイミングが悪すぎます。

写真には安倍首相や小野寺防衛大臣(当時)も写っていましたので、マスメディアや野党からは当然批判が出ました。

まさにこのタイミングで、ツイートした軽率さを、西村康稔議員は批判されたのです。


その反面、西村康稔議員は、元官僚で体育会系ということもあり、年配の先輩議員からの受けはよく、政策にも明るいことから、様々な事務局長を任されています。

2007年の第一次安倍政権下で、「海洋基本法」が制定されました。

その当時の安倍政権では、教育基本法改正や国民投票法(日本国憲法の改正手続に関する法律)も制定されましたが、四方を海に囲まれた日本にとって海洋基本法は、それらと同じくらい非常に意義ある法律です。

その際も、西村康稔議員は、自民党「海洋政策特別委員会」事務局長として、また議員立法の提案者の一人として、与野党間の意見調整、国会対策・法案審議の根回し等に活躍しています。


組織の長としての首相や大臣は、当然のことながら事務局長とは役割が違います。

では、西村康稔議員は果たして、将来の首相候補となりえるのでしょうか。

2017年8月から約2年間務めた官房副長官時代には、夜遅くまで官邸に残り、官僚に厳しい注文を繰り返す「パワハラ副長官」と呼ばれた。

同僚の副長官である杉田氏に用件がある時は「自分は政治家だぞ」とばかりに自らの部屋に呼びつけた。

これも文春の記事をどこまで信じるかという問題はありますが、本当であるとすれば、日本国の長として相応しいのかという疑問符はつきます。

まぁ、過去の首相がすべてその器だったかと言えば、決してそんなことはありません。周りからそう見られているのだと己を顧みて、改善していく努力を忘れないことです。

時とタイミングによっては、西村康稔議員にも可能性が全くないとはいえないでしょう。


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