尖閣諸島問題の現状と中国の強引な主張 中国はどんな名称で呼んでいるか?

尖閣諸島2 政治・経済関連

私達が情報を得るためには、インターネットが普及するまで、新聞やテレビなどのマスメディアからの情報に頼らざるをえませんでした。

そういう時代は、マスメディアが伝えないと判断すれば、一般の国民がその情報を知ることはまずできません。

ところが今や、マスメディアが伝えた情報が本当かどうか、個人が様々な角度から検証することができる時代です。


それでもまだ、マスメディアの影響力は甚大です。新聞やテレビの情報にしか触れない人が、一定数存在するからです。

マスメディアは、中国の負の部分にあまり触れません。


2010年9月7日、尖閣諸島海域で日本の海上保安庁の巡視船に、中国の漁船が体当たりしてきた事件がおこりました。

当時は民主党の菅直人政権で、漁船の船長を逮捕するところまでは良かったのですが、その後1ヵ月も経たぬ間に船長を釈放して、帰国させてしまいます。

2012年9月には、菅直人から政権を受け継いだ野田佳彦政権が、尖閣諸島を国有化(3島)しました。

しかし、尖閣諸島では何の開発もおこなわず、ただ中国の反発だけを招くことになります。

尖閣諸島における報道は、この時がピークで、その後の日本のマスメディアでは、たまに報道されるくらいになりました。


では中国は、この事件以降、尖閣諸島付近には近づいてきていないのでしょうか?

そんなことはありません。

中国は定期的に日本領海に侵入し、逆に日本の漁船が、尖閣諸島に近づけない状況が続いているのです。

中国は、もともと日本の領土と認めていた尖閣諸島を、突然自国の領土と主張しだした経緯があります。

尖閣諸島問題の現状や、中国の主張がどういう内容なのか、この機会に調べてみます。

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日本国領土・尖閣諸島

中国の主張を確認する前に、まず押さえておきたいのが、尖閣諸島が日本の領土であるという点です。

日本が尖閣諸島を日本の領土と確定させたのは、1895年のことです。 

1895年は日清戦争が日本の勝利で終わった年なので、「清国の領土を奪ったのでは?」と考える人がいるかもしれません。

それは間違いです。

この事実は、日本共産党ですら、はっきりと認めています。
   『尖閣諸島は日本領なのですか?(日本共産党)』


領土を確定させるおよそ10年前の1885年から、日本政府は沖縄県を通じて、尖閣諸島の現地調査をおこなってきました。

その結果、尖閣諸島が無人島であることや、当時の清国の支配が及んでいた形跡がないことを確認します。

その上で日本政府は、国際法上の手続きを経て、1895年に尖閣諸島を日本領土としたのです。

尖閣諸島に、標杭を建設する旨の閣議決定をおこない、実効支配をすすめることで、先占の法理(他の国家に先んじて支配を及ぼすことによって自国の領土とすること)をおこないました。


一時は尖閣諸島で、アホウドリの羽毛の採取や鰹節の製造などをおこなわれていました。

当時200人をこえる人達が、尖閣諸島で暮らしていたのです。

この事実を、日本人がまずしっかり認識することが重要です。

   『領海侵犯の定義は何か?

尖閣諸島・中国の呼び名

では、尖閣諸島のことを、中国はどんな名称でよんでいるのでしょうか?

尖閣諸島で一番大きな島は、魚釣島です。

この魚釣島を、中国では、“釣魚島”、尖閣諸島全体としては、“釣魚島およびその付属島嶼” と呼んでいます。

中国は、「釣魚島とその周辺の島は中国固有の領土であり、中国が争う余地のない主権を持っている」と繰り返し主張しているのです。

   『中国がスリランカで行おうとしていること

中国の主張

さきほど、日本がいつ、どのような経緯で、尖閣諸島を自国の領土に組み入れたのかを説明しました。

では、逆に中国はどんな理屈で、尖閣諸島が中国の領土だと主張しているのでしょう。

細かな点は専門的なサイトを確認してもらうとして、ポイントは一つです。

それは、日本が尖閣諸島を領土に組み入れた1895年以前から、尖閣諸島は中国の領土であったという主張です。

日本は尖閣諸島が清国(当時)の領土であることを知りながら、自分達の領土にしてしまったというのです。


これに対して日本政府は、大きく分けると二つの点を指摘しています。

一点は、自国の領土と主張する有効な論拠を、中国は示していないということです。

14~15世紀には尖閣諸島を発見・命名したと主張したり、1560年代には海の防衛ラインに組み入れたと言っていますが、その根拠は曖昧だというのです。

故に国際法上、日本の主張に正統性があるという認識です。


もう一つの指摘は、中国が尖閣諸島を自国の領土と言い出したのは、1971年に入ってからという点です。

このことに関して日本は、「中国が急に言い出した」という表現よりも、「それまで中国は日本領土と認めていた」という言い方をしています。

日本が尖閣諸島を領土に組み入れた1895年からおよそ80年、それまで中国はまったく、日本への抗議や国際社会へ訴えをおこなっていません。

それなのに急に、尖閣諸島を自国領土と強弁しだしたのです。


ではなぜ中国は、1971年になってから、尖閣諸島を自国領土と主張するようになったのでしょうか。

1968年、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が、東シナ海海底における資源探査をおこないました。

その結果、東シナ海に石油埋蔵の可能性があるという指摘がなされたのです。
これを機に、中国の認識が変ります。

要するに、尖閣諸島海域の海底資源ほしさから、中国は自国領土主張を展開し始めたのです。

   『中国土地爆買い問題とアイヌ問題

“正義”の主張だけでは勝てない

「正しい主張や行いをしていれば、やがて理解される」日本人の多くは、そのような理想を持っています。

すべてとは言いませんが、確かに日本国内においては、その考えも通用するでしょう。

ところが、国際社会では「強く主張しない=正統性がない。自信がない」と、とらえられてしまいます。

自分から主張していかないと、“意思がない”と、海外では判断されてしまうのです。
領土問題も同じことです。

「嘘も百回言えば真実になる」と言われるように、中国からすれば尖閣諸島への日本の甘い対応をみて、ほくそ笑んでいるのではないでしょうか。

実際に中国は、日本が尖閣諸島を国有化して以降、ここは俺の海だとばかりに、中国公船を尖閣諸島海域に侵入させています。

海上保安庁HP資料より引用

   『緊急事態条項についての議論はいつから始まるのか


2018年7月18日、石垣市の中山市長が、石垣市への自衛隊配備受け入れを決断しました。

【八重山毎日新聞 2018.7.19】
防衛省の石垣島への陸上自衛隊配備計画をめぐり、中山義隆石垣市長は18日午後、市役所で会見し、「協力体制を構築する」と述べ、受け入れを正式に表明した。

中山市長は「南西諸島圏域の防衛体制・防災体制の構築のために石垣島への部隊配備の必要性を理解した上でそれを了解する」とした上で、計画案への協力体制を構築し、市有地売却や施設建設などについて「法令や条例に照らし合わせ適正に行政手続きを進める」とした。

八重山毎日新聞

   『尖閣諸島と米軍射撃場の状況を確認してみる


石垣島の位置と尖閣諸島の位置を確認してみましょう。

尖閣諸島を中国から防衛するにあたって、石垣島に自衛隊の駐屯地をおくことがどれだけ有効か、この位置関係をみれば一目瞭然です。

石垣市の中山義隆市長は現在3期目です。石垣市に生まれ、青年会議所沖縄地区会長、石垣市議会議員をへて、42歳の時に市長に初当選しました。

今回の中山市長の英断後、日本政府の中国対応が問われてきます。


世界史をみた時に、正義を貫いた国が戦争に勝ってきたと思う人は、まずいないでしょう。

勝った国が、戦争を正当化し、自らを正義としてきたのが、人類の歴史の一面です。

相手は、一党独裁の覇権国家・中国であることを認識し、これからの日本の子孫のためにも今できる最善の対処が必要です。


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