『報道しない自由』という言葉を聞いたことがありますか?
「これって、『報道の自由』を揶揄した言葉?」
そう、その通りです。
もちろん正しい意味での『報道の自由』は、民主主義社会のなかで、しっかりと担保されなければなりません。
国会権力によって、必要以上に報道が制限されることに対しては断固として抵抗すべきことです。
しかし、本来国民に知らせるべきことを、報道する側の都合や思惑で報道しないことも同様に、私達はしっかりと指摘していくべきではないでしょうか。
沖縄県の基地問題や加計学園問題で、マスメディアは『報道しない自由』を発令しているようです。具体的な事例を確認してみます。
『報道の自由』とは
『報道の自由』とは、「事実を告げ知らせる行為の自由」のことです。
最高裁判所では報道の自由について1969年に、以下の見解をだしています。
「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。したがって、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障のもとにあることはいうまでもない。」
日本国憲法21条には、
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」
とあります。
「報道機関の報道は、国民の『知る権利』に奉仕するもの」と最高裁ではいっているのですから、マスメディアは国民の知りたい欲求に応える公正な報道をしてもらいたいと思います。
『報道しない自由』とは
『報道の自由』に対して、『報道しない自由』という言葉が使われだしたのは、そんなに昔のことではありません。
冒頭で書いてたように、『報道の自由』を揶揄した言葉として『報道しない自由』は使われています。
『報道しない自由』という言葉が広がっていったのは、インターネットでのスラング(俗語)としてでした。
あまりにも一方的な報道の仕方や、“臭いものには蓋” 的に、その事実がなかったかのように無視するマスメディアの姿勢に対して、インターネットユーザーが怒りをあらわにした言葉の表現でした。
『報道しない自由』の事例
中国の事例
『報道しない自由』の事例でもっとも顕著なものが、今現在も報道しない自由が行使されている中国に関する報道です。
中国が共産党による一党独裁の国であることを否定する人は、まずいないと思います。
国のトップ(国家主席)を決めるにあたっても、民主的な選挙をするわけではありません。信仰の自由も言論の自由もありません。
共産党中央の意向に反すれば、拘束・弾圧が待ちかまえています。
自分達の意にそぐわないチベット人やウイグル人には、不当な逮捕や容赦のない弾圧を加えます。
では、そういった問題をマスメディアは報道しているでしょうか?
ほとんど、していません。
政権を批判するなとは言いませんが、その1/10でも中国の人権問題や民族弾圧問題に、マスメディアは放映時間や紙面を使ってもいいのではないでしょうか。
沖縄米軍基地反対運動の事例
また沖縄の米軍基地問題での報道においても、『報道しない自由』が行使されているといえます。
マスメディアを見る限り、米軍基地の反対運動では、弱い立場の沖縄県民が団結して必死に政府に対抗しているという構図で、ほとんどが報道されています。
もちろんそういった一面もあるでしょうが、そればかりではありません。
こちらに動画があります。
あまりにも傲慢不遜な態度に気分が悪くなるので、サイトには直接動画は貼り付けませんでした。
ピンクのタオルを頭に巻いているのが中心人物の山城博治氏です。ひろゆき氏が沖縄を訪問した際に、声を荒げていたのも山城氏でした。
上の写真では、山城博治氏が福島みずほ参議院議員とがっちりと握手しています。考えが近いお友達のようです。
下で紹介するツイートにも二人の写真が載っていますが、二人とも服装が違いますので、別の日の写真です。本当に二人は、同志といえる仲なのでしょう。
先ほど紹介した動画で山城博治氏は、沖縄防衛局の職員に対して、「取り囲め!」「写真撮れ!」と帽子やマスクをはぎ取り、暴力行為を行っています。
中国や北朝鮮を笑えない、無法地帯に沖縄県がなっている現実を突き付けられます。
こんな行為が許されるはずもなく、山城博治氏は逮捕されたのですが、保釈されるとまるで英雄のごとく、沖縄の新聞(沖縄タイムス・琉球新報)では一面トップで取り上げられました。
先ほどの動画を見て、『 “平和” のためには暴力もいとわない』行為が正当と感じる人はどれだけいるでしょうか。
琉球新報の紙面には何と、「不当弾圧」という文字が書かれています。
沖縄県外から人間連れて来て、米軍基地追い出して何するつもりなんでしょうね。福島さんは自称平和活動家で、暴力事件を起こし現在執行猶予中の山城さんとも仲良しなんですよね。満面の笑顔、お2人共輝いてますね(。・ω・。) pic.twitter.com/tZDv7aKCde
— @葉っぱ🇯🇵✨ (@maz08251) June 30, 2017
米軍基地の撤去を求めるこういった人達の実態も、マスメディアの『報道しない自由』によって、インターネットに触れない層の人達には、知らされません。
加計学園の事例
安倍政権時も、政権批判のために『報道しない自由』が行使されました。
加計学園の問題で、通常国会閉会後に開かれた閉会中審査でのマスメディアの報道です。
この加計学園の問題の最重要ポイントは、現在の日本にとって獣医学部の増設(獣医師を増やすこと)が本当に必要かどうかということです。
安倍総理の意向がどうだとか、官僚が忖たくしたとかしないとか、そんなことは二次的三次的問題です。
本当に獣医学部が必要であれば、屁理屈で反対する人達をおさえ法に反しない範囲で、トップの意向で新設の決断をして何が悪いのでしょうか。
その際に、賄賂を受け取っているとか、友人知人への便宜をはかったとしたら、それはまた別の問題として真相究明すべきことです。
『安倍総理のお友達の加計理事長(加計学園)』ありきの報道に対して、今回の閉会中審査では、初めて公の場で前愛媛県知事の加戸氏が、国会議員の質問に答えました。
その答弁(以下、要旨)では、
「10年前から、今治(愛媛県)での『未来学園都市』構想(獣医学部含む)に賛同してくれたのは、加計学園だけだった」
「今治選出の県議会議員と加計学園の事務局長が、たまたま友人だったことが縁でこの話しが進んだ」
「15回にわたる申請(獣医学部)でもまったく取り合ってもらえず、やっと耳を傾けてくれたのは、政権交替した民主党政権だった」
「『(前川氏がいう)行政が歪められた』ではなく、国家戦略特区構想によって『歪んでいた行政が正された』」
少し説明が長くなりましたが、上記のようなニュースを新聞やテレビのマスメディアで見かけたでしょうか?
こんな貴重な発言をおこなった加戸氏は、マスメディアの『報道しない自由』の前では、いなかったと同じことになってしまいました。
ところが、インターネットを通して国会中継を見た人達は、この加戸発言に対して、「心を揺さぶられた」「魂の叫び」と賛辞を送っています。私もそう思う一人です。
天下り官僚の前川氏が言っていることが正しいか
— fumiotan🐶 (@fumiotan23) July 15, 2017
愛媛の立場を語る加戸氏が正しいか
見比べてみれば結論は明白ではないか#加計学園問題
加戸守行前愛媛県知事の発言がもやを晴らしてくれた 前川喜平さんは「役人の矜持」を自らに問うて欲しいhttps://t.co/w1ca0SgRi3
右だろうが左だろうが日本の国と国民を守るために実を粉にしてがんばっているなら応援する、私利私欲に走ってるなら糾弾する。それだけ。今回の加計も政権交代前の自民は話にならなかった。民主党政権になってからやっと取り扱ってくれる様になった。と加戸氏は言った。旧民主も規制緩和側だったはず?
— タニタニヤン (@roith_and) July 15, 2017
補足ですが、閉会中審査の翌日(7月11日)の新聞各紙朝刊を調べてみましたので、大まかですが載せておきます。
東京新聞
紙面 | 見出しなど | 主な内容 |
1・2面 | 『食い違う主張 解明遠く』 | 前川氏中心の記事内容 |
7面 | 質疑要旨 | 加戸氏「ゆがめられた行政が正された」の一文のみ
前川氏答弁多数掲載 |
28面 | 二人(加戸・前川)の写真 |
朝日新聞
紙面 | 見出しなど | 主な内容 |
1・2・3面 | 『加計ありき疑念消えず』
『丁寧な説明なき審議』 |
前川氏中心の記事 加戸氏なし |
7面 | やりとり詳報 | 加戸氏一文のみ(20行) 、前川氏9回 |
39面 | 『愛媛は12年間加計ありき』 | 下の隅の方に今治市長の前川批判を載せる |
産経新聞
紙面 | 見出しなど | 主な内容 |
1・3面 | 加戸氏と前川氏の主張を平等に掲載 | |
5面 | 詳報 | 前川氏と加戸氏の答弁をほぼ平等に掲載 |
27面 | 『 結局は水掛け論』 |
毎日新聞
紙面 | 見出しなど | 主な内容 |
1・3面 | 前川氏のみの記事 | |
9面 | 詳報 | 加戸氏一文のみ、前川氏多数掲載 |
31面 | 『「印象操作」かわす 』
『前川氏追及に淡々と』 |
産経新聞以外の三紙は、紙面のほとんどを、前川氏にかかわる内容・答弁に使っていました。
『報道しない自由』はマスメディアの驕り
これは由々しき問題です。
あたかも公正中立のスタンスを取りながら、その影で『報道しない自由』を行使して、国民へ知らしめるべき事実を隠蔽しているのですから。
『報道しない自由』と揶揄されていることに、マスメディアはしっかりと向き合っていかないといけないでしょう。
このままの状態が続いていくならば、インターネットから情報を得る世代が大半になった時、一定のマスメディアを除いては、マスメディア自体が過去の遺物になっているかもしれません。
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