小泉進次郎議員の親族は、父・兄ともによく知られた存在です。
父は第87代内閣総理大臣の小泉純一郎元首相、兄は俳優の小泉孝太郎です。
小泉進次郎議員の母親については、今までその存在はほとんど表に出てきませんでした。そこには何か理由があるのでしょうか?
小泉進次郎育ての母
2016年8月に、小泉進次郎議員の母代わりともいえた、小泉純一郎氏の姉の小泉道子さんが亡くなりました。
享年84歳。家庭において弟の小泉純一郎氏に、妻のごとく支えきった人生でした。
小泉純一郎氏をはじめ小泉兄弟の悲しむ姿は、それだけ道子さんとの関係の深さを物語っています。
当たり前のことですが、母代わりということは、小泉進次郎議員の本当の産みの母は別にいるということです。
実は小泉純一郎氏は、結婚して約4年後の1982年に、妻と離婚しています。長男の孝太郎4歳、次男の進次郎1歳の時のことです。
当時1歳の進次郎に本当の母の記憶があるはずもなく、子供の時は道子さんが母親だと信じていました。
道子さんが小泉純一郎氏の妻ではなく姉であると聞かされたのは、孝太郎が高校2年生、進次郎が中学2年生の時です。
最初は「うそ!」と言って受け入れがたい言葉を発した進次郎でしたが、最終的には「(道子さんが)ボクにとっては本当の母親だよ」と受け止めたといいます。
当然ショックは大きかったでしょうが、それ以降も『育ての親』として小泉道子さんを今日まで慕ってきた小泉兄弟でした。
実母の名前は?
小泉兄弟の本当の母親の名前は、宮本佳代子さんといいます。
青山学院大学の4年生の時に、小泉純一郎氏とお見合いし、その日にプロポーズされました。
エスエス製薬の創業者を祖父に持ち、その立ち居振る舞い・雰囲気に、小泉氏が “即決” したのは、いかにも小泉純一郎氏らしいエピソードといえます。
小泉純一郎氏との離婚後は三井不動産のグループ会社で不動産営業にたずさわり、現在は『宮本アソシエイツ』代表を務め、講演活動などもおこなっています。
離婚から40年以上経っていますが、その間、小泉純一郎氏の首相就任や孝太郎の俳優デビュー、更には進次郎の衆議院議員初当選など小泉家にとって話題に事欠きませんでした。
その度ごとにマスコミからコメントなどを求められた宮本佳代子さんは、今まですべて断ってきました。
宮本佳代子の心境の変化
今までほとんど表に出て来なかった宮本佳代子さんですが、三男の結婚(2014年)・独立、そして2016年はご自身が還暦を迎えた年ということで、初めて雑誌のインタビューに応えています。
『三男』とはどういうことかというと、小泉純一郎氏と宮本佳代子さんが離婚した時、宮本佳代子さんのお腹の中には3人目の生命が宿っていました。
妊娠中にも関わらず離婚したということは、余程のことがあったと推測できます。
大下英治氏の著書『総理への宿命 小泉進次郎』には、「夫人(宮本佳代子さん)が急に、子供を東京の私立の保育園に入れたいと言いだした。そこから溝ができて離婚に至った」と書かれています。
更に続けて、「選択肢は二つ、東京に移り住み小泉が政治家を辞めるか、夫人が反省し子供を近所の公立に入れるか」と書きます。
ちょっと強引すぎる論法ではないでしょうか?
夫婦間もしくは小泉家に何かあったであろうことは想像できますが、話をあまりにもはしょり過ぎです。
しかも宮本佳代子さんのお腹の中には、三人目の子供が宿っているのです。
子供の進学にこだわり、結果として離婚というにことになって子供達と離れ離れになる、そんな選択をするのでしょか?
他にも色々な憶測記事は世の中に出ていますが、真相はわかりません。
子供達の将来のことを考えて、宮本佳代子さん自身『真相は墓場まで』と思っている可能性はあります。
その三男が結婚し独立する中で、宮本佳代子さんは、自身の人生の再スタートを切る決意をしました。
「これまで縛られてきたしがらみから自分を解放しよう。これからは堂々と生きていこう」(「いきいき」2016年4月号)
そのように、雑誌のインタビューに応えています。
三男の結婚式には、小泉純一郎・孝太郎・進次郎の三人が参席しました。宮本佳代子さんにとって、言葉にいい表せない正に、感慨無量のひと時だったと思います。
1歳の時に母と別れた小泉進次郎議員にとって、母は伯母である道子さんという感情の方が現在も強いのかもしれません。
ただ今後、小泉進次郎議員が結婚・子育てを経験した中で、4歳・1歳の子供と別れざるをえない時の宮本佳代子さんの引き裂かれるような感情を感じ取ることができれば、人間としても政治家としても一回り大きな存在となれるのではないでしょうか。
【関連記事】⇒『小泉進次郎議員の学歴は?』
コメント