自民党の “政治と金” の問題で追い詰められた感のある萩生田光一議員に、かつての存在感はありません。
更に2024年7月7日投開票の都議補欠選挙で、8選挙区中6選挙区で敗北したことを受け、自民党東京都連の会長職を辞任することになりました。
長い議員生活の中で最も困難な時を迎えている萩生田光一議員に対して、“落選運動” というワードでの検索もされています。
萩生田光一議員への “落選運動” にどのような背景があるのか確認するとともに、萩生田光一議員の選挙区事情なども調べてみたいと思います。
落選運動の背景
自民党の “政治と金” の問題が大きく報道されたのが2023年11月のことでした。
自民党の派閥では、行われたパーティ収入の一部を所属議員にキックバックし、受け取った議員が政治資金収支報告書に記載していなかったのです。
いわゆる『裏金』です。
個別の議員が独断でこのようなことをするはずもなく、派閥の長なり幹部からの指示であることは間違いないでしょう。
自民党のほとんどの派閥が行っていたにもかかわらず、特にやり玉に挙げられたのが安倍派と二階派でした。
萩生田光一議員も2024年1月に記者会見を開き、不記載があったことを認めています。
【朝日新聞デジタル 2024.1/22】
萩生田氏は2018年から22年までの5年間で政治資金収支報告書に不記載の裏金額が計2,728万円にのぼることを明らかにした。
安倍派の幹部では、離党勧告を受けたのが塩谷立議員と世耕弘成前参院幹事長で、1年間の党員資格停止処分を受けたのが下村博文元政調会長と西村康稔議員でした。
この4人よりも不記載額が多かった萩生田光一議員に対しては、党の役職停止1年が処分内容でした。
安倍派のパーティー券収入のキックバックの廃止やその後の復活を協議した2022年の会合に、萩生田光一議員が出席していなかった事がこの結果に影響しました。
しかし、亡くなられた安倍元首相と最も親しい関係にあった一人でもあり、更に旧統一教会との繋がりで色々な指摘がある萩生田光一議員に対しては国民からの批判が多く、この “落選運動” もそこから派生しているものと思われます。
過去の落選と選挙区事情
萩生田光一議員の選挙区は東京24区です。
八王子市に生まれ育った萩生田光一議員の政治家としての出発は八王子市議会議員で、その後に都議会議員、国会議員と階段を上って行きました。
萩生田光一議員が国会議員に初当選したのは2003年で、民主党に政権交代となった2009年の衆院選では敗北を喫し比例復活もできず、3年間の浪人生活を送っています。
その後、東京24区は萩生田光一議員にとって盤石といって良い選挙区となりました。
2022年の公職選挙法改正で、東京都の選挙区割りが25区から30区に増えました。
東京24区では八王子市の一部が東京21区に移行しましたが、それ以外大きな変化はありません。
次回の衆院選では『裏金問題』等で選挙区民からの審判を受けることになる萩生田光一議員です。かなりの票を減らすことになるでしょう。
ただし、野党が候補を一本化できないと票を減らした萩生田光一議員に勝つことは難しいかもしれません。
過去の東京24区衆院選結果
過去の東京24区の衆院選の結果を見て下さい。
【2021年10月31日投開票】
候補者名 | 政党名 | 得票数 |
萩生田光一 | 自由民主党 | 149,152票 |
佐藤由美 | 国民民主党 | 44,546票 |
吉川穂香 | 日本共産党 | 44,474票 |
朝倉玲子 | 社会民主党 | 16,590票 |
【2017年10月22日投開票】
候補者名 | 政党名 | 得票数 |
萩生田光一 | 自由民主党 | 122,331票 |
高橋斉久 | 立憲民主党 | 61,441票 |
吉羽美華 | 希望の党 | 39,892票 |
飯田美弥子 | 日本共産党 | 24,349票 |
【2014年12月14日投開票】
候補者名 | 政党名 | 得票数 |
萩生田光一 | 自由民主党 | 126,024票 |
阿久津幸彦 | 民主党 | 71,212票 |
市川克宏 | 日本共産党 | 32,887票 |
藤井義裕 | 次世代の党 | 13,680票 |
野党の票が割れることで、萩生田光一議員にまったく歯が立たないことがわかります。
既に次の衆院選にむけて『教育無償化を実現する会(代表・前原誠司氏)』では、さとう由美氏が東京24区の立候補予定者となっています。
また国民民主党でも2024年7月24日に、弁護士の新人・浦川祐輔氏を擁立することが発表されました。
立憲民主党の長妻昭政調会長も東京24区に、党独自の候補者を立てる準備をしていると発言しています。
果たして、野党間の立候補者調整は可能なのでしょうか。
都議会補欠選挙の衝撃
2024年7月7日投開票の都議会議員補欠選挙(八王子市)の結果は、衆院選を占う上でも需要な意味を表しています。
この結果はある程度予想はできていたでしょうが、萩生田光一陣営にとっては現実を目の当たりにしたことでしょう。
八王子市には創価大学八王子キャンパスがあり、東京24区は通常の選挙区よりもかなり多い創価学会票(公明票)があると言われています。その票数5万票とも。
安定した票数が見込める創価学会票に頼るということは、それだけ創価学会に頭が上がらなくなるということに繋がります。
旧統一教会と創価学会が政治に関わることに何の違いがあるのか私には理解できませんが、極力一組織が政治家に大きな影響力を持たないことを願います。
安倍元首相との関係
萩生田光一議員と安倍さんはとても近い関係にありました。
過去には安倍さんと川口湖畔の別荘でバーベキューを楽しむ姿を、萩生田光一議員はブログに載せたりしています。
安倍さんが亡くなった後のメディアのインタビューでは、大臣として忙しかったため「ゴルフを誘われ、3回断ってしまったことが後悔」と語っていました。
同じ自民党東京都連の平将明議員は「(萩生田光一議員は)安倍元首相から圧倒的に信頼されている」と言っています。
安倍さんとの最初の出会いは、萩生田議員がまだ八王子市議会議員の時のことでした。
1997年か1998年頃の話です。
萩生田光一議員が地元で北朝鮮による日本人拉致の陳情を受け、その取った対応に朝鮮総連からクレームをつけられてしまいます。
困った萩生田光一議員が自民党本部に相談したところ、「萩生田さんの言ってることは間違ってはいないから」と対応してくれたのが、当時の安倍さんでした。
その後も、市議会議員から都議会議員に立候補した2001年の時、選挙応援に自分から駆けつけてくれたのが安倍さんでした。
萩生田光一議員が国会議員になった2003年からは、安倍さんと同じ清和政策研究会(当時は森派)に所属しました。
1954年9月生まれの安倍さんと、1963年8月生まれの萩生田光一議員の歳の差は9歳です。
安倍さんにとって萩生田光一議員は、思想信条が共通するかわいい弟のような存在だったのです。
政治家としての原点
政治家を目指した原点は、“ぼっとん八王子” にあると萩生田議員は言います。
このワードだけだと、ちょっと何のことかわからないですね。
高校の授業で基盤整備の話になり、「家のトイレが汲み取り式の人?」と聞かれた際、手を挙げたのが45人のクラスで萩生田光一議員一人でした。
そこで皆に言われたのが、“ぼっとん八王子” です。
『汲み取り式のトイレ』といっても若い人は、ピンとこないかもしれません。『水洗トイレ』になる前のトイレのことです。
萩生田光一議員は悔しさもあり「何で俺の家はトイレが汲み取り式なのか」と母親に聞くと、それは下水道が整備されていないからだと説明されました。
納得がいかな萩生田光一議員は、すぐに八王子市役所に電話で「僕の家はいつトイレが水洗になるのでしょうか」と問合せします。
そこで下水道課の人が丁寧に「萩生田さんの家は○○地区なので、昭和67年から供用開始です。」と教えてくれました。
昭和52年のことです。
「15年後…。」
「八王子ってこんなに東京都心から比べると遅れているのか」と強く思ったそうです。
この東京都内の格差を少しでも早めることができる仕事は何なのかと考えた時に、それが政治家だとの結論に至ったのです。
大学生になってからのエピソードとして、こんなこともありました。
飲み会があっても自宅(八王子)が遠く、皆よりも終電の時間が早いため、先に切り上げて帰らなくてはいけないことに不満を持ちました。
そこで国鉄(現在のJR)に電話をして、終電の時間をもっと遅くしてほしいとお願いします。
さすがに国鉄は受け入れてはくれませんでしたが、別の経路を教えてくれて、その分遅くまで飲み会に参加できるようになったということです。
この二つのエピソードから、萩生田光一議員は青年の時から問題やトラブルがあれば解決のために、迅速に行動を起こす人物であることが垣間見えます。
自民党は同じ党内でも、思想信条が大きく異なる議員が存在します。
親中・親韓の議員もいれば、この二か国にはもっと是々非々で厳しく対応するべきという議員もいます。
また財政政策でも、財務省の影響を強く受けた緊縮財政派の議員もいれば、長いデフレ下の日本にとって成すべきは積極財政であると主張する議員もいます。
今回の試練というべき期間を萩生田光一議員はどのように過ごし、そして乗り越えていくのでしょうか。
歴史に名を残す政治家になれるのか、それともこのまま沈んでいくのか。本人の志と取組み、更には運を味方にできるかどうか、萩生田光一議員が注目すべき政治家であることは間違いありません。
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