立憲民主党を立ち上げ、2017年の街頭演説では新宿駅前に多くの聴衆を集めた枝野幸男議員でした。
その後、2021年の衆院選で立憲民主党が議席を減らしたことに責任をとった枝野幸男議員は、代表を辞任してから表立った活躍をしていないように感じられます。
枝野幸男議員といえば昔から “革マル派” との関係が噂されてきました。
“革マル派” とは共産主義の一派で、破壊活動防止法の調査対象団体であり、危険な団体であることに間違いはありません。
枝野幸男議員と革マル派とは、はたしてどのような関係にあるのでしょうか。
革マル派で検索される理由
枝野幸男議員と革マル派との関係が検索されるのには理由があります。
枝野幸男事務所が提出した収支報告書に、JR総連やJR東労組からの献金794万円が記載されていたからです。
以下は、民主党政権時の国会でのやり取りです。
枝野幸男議員は当時、菅直人内閣で官房長官を務めていました。
平沢勝栄議員
「JR総連、東労組からは、官房長官、この前、柴山委員がここで指摘したように、資金が官房長官に相当渡っていますよね。
幾らだかわかりますか。
七百九十四万円、報告書を見れば渡っていますよ。」
枝野官房長官
「七年にわたって、前後関係では十数年にわたって、トータルをすると延べで今のような御指摘の金額かということを、たしか柴山議員がお調べをいただいて、それは間違いないだろうというふうに思っております。」
国会答弁で枝野幸男議員は、平沢勝栄議員の質問に対し、JR総連や東労組から長年に渡って資金提供を受けていたことを認めています。
「JR総連や東労組からの献金があったからといって何か問題があるのか」と思うでしょうが、このJR総連や東労組という組織のことを理解すると問題点が見えてきます。
JR総連とJR東労組
JRの名称で馴染みのある旅客鉄道株式会社は、元々は国が保有する交通機関『国鉄』(日本国有鉄道)でした。
国鉄時代、労働組合はやりたい放題でした。
組合員のヤミ休暇、ポカ休(当日突然休暇)、ヤミ手当、ヤミ無料パスが横行し、規律の乱れによる “たるみ事故” や “たるみ工事” が頻発していました。
ストライキも乱発し、一日電車が動かないことも普通におこり、国民の足を奪っていました。
労働組合は本来、弱い立場の労働者が団結し、労働環境の改善や適正な賃金を経営陣と交渉するための組織です。
この労働組合にメスを入れることも国鉄民営化に伴う目的の一つでした。
国鉄がJRに分割民営化された当初、JR総連(全日本鉄道労働組合総連合会)やJR東労組(東日本旅客鉄道労働組合)を牛耳っていたのは、間違いなく革マル派のメンバーです。
その中心的存在が、JR東労組の松崎明委員長でした。
松崎明氏は1955年、19歳の時に日本共産党に入党しますがその後、1958年には日本共産党と決別します。
革マル派最高指導者の黒田寛一の影響を多大に受けた松崎明氏は、やがて革マル派のナンバー2となり、セクト名で倉川篤を名乗るようなります。
松崎明氏はJR東労組の委員長であると同時に、革マル派の指導者でした。
2002年11月6日に自由党(当時)の西村眞悟議員が国会で、JR総連・東労組内における革マル派の影響力について質問しました。
これに対して警察庁の奥村萬壽雄警備局長(当時)は以下の答弁しています。
「警察といたしましては、JR総連、JR東労組に対しまして、革マル派が相当浸透していると見ているところでありまして、こういう見解にはいささかの変更もないところであります。」【第155回国会・衆議院内閣委員会】
西村眞悟議員は前年にも、金重凱之警察庁警備局長から以下の答弁を引き出しています。
「革マル派でございますけれども、昭和五十年代の初めまでは、対立しております中核派あるいは革労協との間で、殺人を含みます数多くの内ゲバ事件を引き起こしておりましたが、その後、組織拡大に重点を置きまして、党派性を隠しまして、基幹産業の労組等、各界各層への浸透を図るというようなことをやっております。
先生も御指摘されておりました秘密性といいますか非公然性の極めて強い組織でございます。」【第151回国会・法務委員会】
革マル派は、党派性を隠しJR総連やJR東労組内において組織を拡大して、各界各層への影響力を行使していると当時の警察庁は見ていたことがわかります。
革マル派とは
革マル派とは、『日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派』の略称です。
冒頭で書いたように、革マル派は破壊活動防止法の調査対象団体です。ちなみに日本共産党も同様の対象団体です。
破壊活動防止法は1952年に、『暴力主義的破壊活動を行った団体に対する必要な規制措置をとる』ことを目的に立法された法律です。
革マル派は共産主義による暴力革命を標榜し、過去において数々の殺人・傷害事件を起こしてきました。
もともと日本共産党から離脱したメンバーは『日本革命的共産主義者同盟』を結成しますが、その後1963年に革マル派と中核派に分裂していきます。
分裂後、革マル派と中核派は死者が多数出る壮絶な争いを行いました。いわゆる “内ゲバ” です。
いずれにしても革マル派も共産主義の一派です。共産主義革命のためには手段を選びません。
枝野幸男と革マル派
枝野幸男議員と革マル派メンバーに、直接の関係性があるかどうかはわかりません。
しかし枝野幸男議員が認めている動かしがたい事実は、長年に渡ってJR総連や東労組から794万円の献金を枝野幸男事務所が受け取っていたという点です。
そしてJR総連とJR東労組は、革マル派の影響力が相当強力な組織であるということです。
国会議員は通常、ある組織や団体から支援を受ける際に政策協定(覚書)を書面で交わしますが、枝野幸男議員もJR総連やJR東労組と政策協定を交わしていました。
枝野幸男議員は官房長官時代の答弁でその事について以下のように語っています。
「御指摘のようないわゆる政策協定は、労働団体に限らず、さまざまな団体と選挙などに当たって政策協定や確認書等を交わすことはよくある話でございまして、連合加盟の産別の一つとそういった協定書を交わすということは、一般的によくあることだというふうに思っております。」【第177回国会 予算委員会】
革マル派の戦略は「組織を乗り越えて、潜り込み、内部から食い破る」というものです。
自覚があるかないかは別として、枝野幸男議員がJR総連やJR東労組を通じ、革マル派からの大なり小なりの影響を受けていたことは間違いないでしょう。
最後に、JR総連とJR東労組への革マル派の浸透を現在の政府も認識していることを、浜田聡参議院議員の質問主意書への答弁書で確認して下さい。
「革マル派は、将来の共産主義革命に備えるため、その組織拡大に重点を置き、周囲に警戒心を抱かせないよう党派性を隠して基幹産業の労働組合等各界各層への浸透を図っており、全日本鉄道労働組合総連合会及び東日本旅客鉄道労働組合内には、影響力を行使し得る立場に革マル派活動家が相当浸透していると認識している。」【答弁書】
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