稲田朋美議員の若い頃は? 弁護士の経歴と支える夫の存在

稲田朋美3 政治家

今、何かと注目されている国会議員がいます。

稲田朋美衆議院議員です。

1959年2月生まれの稲田議員は現在57才、若い頃はどんな人生を歩んできたのでしょうか?

福井1区選出で、当選回数4回の稲田朋美議員が衆議院議員に当選したのは、46才の時のことです。

当時の小泉純一郎首相は、郵政民営化法案が自民党議員の反対もあり、参議院で否決されたことを受けて、「国民の皆さんが、この郵政民営化は必要ないのか、聞いてみたいと思う」と言って、衆議院を解散してしまいました。

これが有名な『郵政解散』です。

稲田朋美10

その時の衆議院議員選挙では、郵政民営化に反対する自民党の議員を公認しないだけではなく、その各選挙区に『刺客』と称された自民党公認の候補者を送り込んだのです。

今回、東京都知事になった小池百合子氏もその『刺客』の一人でした。

稲田さんもそういう経緯の中で、福井1区からの出馬でした。

下の動画は、当時の小泉首相がおこなった衆議院の解散後の記者会見です。

稲田朋美議員の若い頃に関する内容とは関係ありませんので、関心ない方は飛ばして下さい。

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なぜ稲田朋美議員が、注目されているかというと、女性初の首相になる可能性がある人物だからです。

過去にも女性首相候補といわれた人はいました。

今回、東京都知事になった小池百合子知事もその一人でした。今では信じられないですが、田中真紀子元議員も女性首相候補といわれていましたね。

 

政界は一寸先は闇といわれ、首相候補といわれながら、わずかなところでその席を逃した人などあげたらキリがありません。

安倍首相のお父さんの安倍晋太郎氏などは、その筆頭です。

中曽根裁定(竹下指名)で涙を飲み、竹下首相の次は安倍晋太郎と確実視されながら、結局最後は病に倒れ、67才の若さでこの世を去ってしまいました。

政界では嫉妬がうずまき、足の引っ張りあいが日常茶飯事ですので、稲田議員もいつそういう立場になってしまうかもしれません。

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稲田朋美議員の前職は弁護士

2005年に衆議院議員に出馬する前、稲田議員は弁護士を務めていました。

その当時関わっていた案件が、第二次世界大戦中に中国で、『百人斬り競争』をしていたとして処刑された軍人の親族が起こしていた名誉毀損の裁判でした。

この裁判の一審判決の結果待ちの時期に、衆議院議員の出馬依頼があったのです。

きっかけは、自民党本部で講演する機会があった時に、安倍晋三幹事長代理(当時)の目にとまったことでした。 その時の講演は、「百人斬り競争」はでっち上げであるという内容です。

安倍さんからの命をうけた山谷えり子参議院議員は、以前から懇意にしていた稲田さんに安倍さんからの出馬依頼を伝えます。

8月15日の終戦記念日、場所は靖国神社でした。まさに英霊の後押しがあったと感じざるをえない出来事です。

稲田さんは、夫をはじめ周りの人と相談・調整の後、17日の夜に出馬の決断することになります。

   『稲田朋美議員が右翼と呼ばれる理由はなぜか

更に若い頃は?

このような戦争に関する裁判にかかわる前、稲田さんは、いたって普通の人生を過ごしてきたようです。

早稲田大学を卒業後の翌年、司法試験に合格した稲田(旧姓:椿原)さんは、司法修習生をへて1985年に弁護士登録をおこないました。

4年後の1989年に結婚し、その後二人の子供(一男一女)を授かり育児に専念します。

稲田朋美11

今ほど、男女共同参画やワーク・ライフ・バランスという言葉や考え方が一般的ではない時代ですので、女性としては自然な流れの選択だったと思います。

若い頃の写真?

ネット上では、「稲田さんの若い時の写真ではないか?」と出回っている写真があります。
こちらです。

何となく似ているような気がしないでもないですが、メイクや服装からいってこの写真は現代のものでしょう。

これを見て、普通の感覚であれば、「ちょっと時代が違う…」と感じます。稲田朋美議員が20歳前後の頃は、今から40年近く前のことなのですから。

実際この写真の人は、『モーニング娘。』の佐藤優樹さんです。

たぶん、最初にこの画像を『稲田朋美の若い頃』とふざけ半分で投稿した人がいて、誰も信じていないけれども拡散されていったいうことではないでしょうか。

結婚後の転機

話を結婚してからのことに戻すと、
wikipediaによれば、夫である稲田龍示氏が、『産経新聞』と雑誌の『正論』を購読していたので、その影響を受けるようになり、歴史問題や中国・韓国との関係について考えるようになったといいます。

そう考えると、稲田朋美議員にとって、稲田龍示氏との結婚がとてつもない大きなターニングポイントになったといえます。

この出会い、意識変革があったればこそ、政治家への第一歩が踏み出されたわけです。

第三次安倍内閣で防衛大臣に抜擢された稲田議員は、どれだけ稲田色を出して今後、活躍することができるでしょうか?

可もなく不可でもないというレベルでは、女性初の首相という芽は遠のきます。

奇しくも、尖閣で中国が挑発を繰り返していますので、安倍首相と連係してどう立ち回れるかが、重要なポイントになると思います。

夫・稲田龍示氏の支え

先ほど稲田龍二氏との結婚が、稲田議員にとって人生のターニングポイントになったと書きましたので、ここからご主人のことにふれてみます。

結婚している女性が活躍している背後には、ほぼ間違いなくその活動を理解し、それを支える夫の存在があるはずです。

表舞台に出る出ないにかかわらず、女性が輝いていないのは、そのパートナーである男性の責任ですね。自戒も含めて。

稲田龍示氏は、稲田議員と同じく早稲田大学出身で、弁護士でもあります。

稲田夫妻

大学が同じで、司法修習生の同期ということから知り合った二人は、稲田議員が30歳になる手前で結婚しました。

二人の子宝に恵まれ、主婦業が中心だった生活が変化したのは、第二次世界大戦関連の裁判に関わるようになってからです。

裁判や講演などで忙しく動き回るようになる妻を、龍示氏は、子供の保育所への送り迎えや家事・洗濯をして支えました。

出馬への後押し

その後、山谷えり子参議院議員を通じて安倍さんからの出馬依頼を受けた稲田さんは、当然のことながら夫へ相談します。

8月15日に依頼され、17日の夜に決断したということですから、遅くとも15日の夜には夫に話しをしたはずです。

その時、稲田龍示さんは

「君が法廷を通じてこの国を良くしたい、日本の名誉を回復したいとやってきたことは、自民党の衆議院議員になるのが一番の近道だと思うから、挑戦した方がいい。」

と言って、稲田議員の背中を押しました。

稲田議員の父親は、中学生の子供がいることや小泉首相(当時)がすすめている構造改革に反対の立場から、猛反対でした。

もし夫である稲田龍示さんも反対していたら、国会議員稲田朋美は誕生していなかったかもしれません。

そうなると、ちょっと大げさですが、歴史が変わった可能性があります。(あと数年したら、『大げさ』という表現がそうでなくなる可能性もあります)

ちなみに稲田議員の父親は、椿原泰夫(つばきはら やすお)氏で、現役の頃は高校の校長を務め、退職後も地元で教育委員長をしていました。

一貫して教育畑を歩んでこられ、今年2016年10月8日、84歳でお亡くなりになっています。

   『稲田朋美議員のメガネブランドはどこ?

稲田夫婦船

夫の後押しを受けて衆議院議員になって、11年が過ぎました。11年前、誰が現在の稲田議員の立場や役職を想像できたでしょうか?

ただ、夫の龍示氏は現在の稲田朋美議員の活躍をおぼろげながら想像できていたのかもしれません。

というのは、龍示氏は日頃から、「(政治家の)女性保守の論客が絶対必要」、「君(朋美)は政治家に向いている」と言っていたからです。

稲田夫妻2

上の写真は、2007年6月の「『百人斬り裁判から南京へ』出版を祝う会」で挨拶する稲田議員と、少し心配そうに傍らで見つめる稲田龍示氏です。

最後に、稲田議員を支える稲田龍示氏が所属している弁護士法人 光明会HPの挨拶文を紹介します。

「当事務所は、法人化はしていますが、昔気質の法律事務所です。正しいことが通るまっとうな社会の実現を目指しています。卑怯を憎み、「法は力(物理的ないし資本的)ではなく正義である」という信念のもとに、法の抜け道を探すのではなく、道義に照らして正しい立ち居振舞い、誇れる解決を志向します。」

夫の支えに感謝しつつ信念を持って国会議員になった妻と、正義を貫くことを誇りとして弁護士業を営みながら妻を支える夫、個人的に見習いたい夫婦関係です。


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