小泉進次郎と安倍晋三首相との関係は? 確執はあるのか

安倍首相&小泉進次郎 政治家

小泉進次郎議員は、先日の4月14日で、36歳になりました。 衆議院議員としての当選回数は3回で、現在は自民党の農林部会長を務めています。(2020年8月現在、39歳で当選回数4回)

まだ年齢的には若いですので、これから副大臣・大臣や自民党内の役職経験を積んでいくことになるかと思いますが、安倍首相は小泉進次郎議員のことをどう思っているのでしょうか。

2014年の週刊現代の記事には、

「進次郎が、邪魔になるかもしれない」 あの満面の笑みの裏で、安倍総理の脳裏を過ったのは、そんな思いだったに違いない。

ともっともらしく書かれています。

果たして、小泉進次郎議員と安倍首相はどのような関係なのか、調べてみたいと思います。

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小泉純一郎と安倍晋三

小泉進次郎議員と安倍晋三首相との現在の関係を考える時に、小泉進次郎議員の父親である小泉純一郎元首相と安倍首相の関係を知らないと、理解できない部分があります。

同じ派閥の先輩後輩

現在、小泉進次郎議員は、自民党内では派閥に属さず無所属の立場ですが、小泉純一郎元首相は議員の現職当時、福田派(その後、安倍晋太郎派→三塚派→森派→町村派→現在:細田派)に所属していました。

福田派の流れを更にさかのぼれば、福田派(清和会)→岸派(十日会)で、安倍首相の祖父である岸信介に行き着きます。

 

安倍首相が初当選したのは1993年で、派閥のトップは三塚博議員でした。三塚派に所属した安倍さんの先輩議員には、1972年に初当選した小泉純一郎氏がいました。

小泉純一郎氏はその後、自民党総裁選3度目の挑戦で、大方の予想を裏切り、橋本龍太郎議員を破って自民党総裁となります。 

小泉&安倍

2001年の事です。それから小泉純一郎氏は、国会での首班指名を経て、第87代内閣総理大臣に就任しました。

小泉内閣での抜擢

第一次小泉内閣の時に、当時国会議員3期目で46歳の安倍晋三議員は内閣官房副長官を務め、拉致被害者交渉で北朝鮮に同行しました。

2003年には49歳で自民党幹事長に抜擢されました。大臣経験もない若手議員の異例の人事でした。

長期政権(5年5ヶ月)となった最後の第三次小泉内閣(改造)では、安倍晋三議員を内閣官房長官に任命し、次の第一次安倍政権へのレールを完全に敷いた形をとりました。

 

みてきたように、現在安倍さんが首相でいる一つの大きな要因が、小泉純一郎氏が首相を務めていた時に、安倍さんを高く用いたからだといえます。 

当然そのことを安倍さんは恩義に感じているはずです。

第一次安倍政権は一年で退陣となってしまいましたが、早い時期(52歳)での失敗が、首相再登板につながったといえます。 

小泉進次郎にとっての小泉純一郎

小泉進次郎氏が父親に、国会議員を目指したいと伝えたのは、大学2年生の時のことでした。小泉純一郎氏が初めて、内閣総理大臣に就任したばかりの時のことです。

その時、小泉純一郎氏は、複雑な表情だったといいます。親として、子供が自分と同じ職業につきたいと言えば、多少なりとも喜ぶはずです。

でもその職業に就いた時の困難や苦労を知っていればこそ、小泉純一郎氏は、そのような表情に自然となったのでしょう。

小泉進次郎&純一郎

両親の離婚

小泉進次郎氏が1歳の時、両親は離婚し、それ以降は純一郎氏の姉、進次郎氏にとっては伯母が、母親代わりとなってきました。

進次郎氏がそのことを告げられたのは、中学二年生の時でした。兄である小泉孝太郎氏は、本当の母親でないことは既に知っていました。

宮本佳代子さん(母)が家を出たのは、孝太郎4歳、進次郎1歳の時ですから、兄弟で認識に差があるのは当然です。  『母親の名前は宮本佳代子(画像あり)

 

自分の意に反して母親と離れ離れになるという強烈な出来事ですから、4歳であれば、母親の記憶は孝太郎氏の中にはっきりと残っているはずです。

通常の場合、端からみたら、物心両面で充分な物を子供に与えていると見えても、親であればもっと与えたい、まだ不充分であると感じるものです。

ましてや理由はどうであれ、幼子の時に母親と別離させてしまったという負い目を、純一郎氏自身持っていたと思います。

父親への信頼

小泉純一郎氏は、国会議員という仕事柄、家にいることが極端に少ない状況で、子供達の為に何かできないかという思いは常に持っていたでしょう。

奇しくも小泉純一郎氏が政界引退を決め、後援会の緊急総会で後継者に進次郎氏を紹介した時、「(世襲批判はあるだろうが)自分は変人ではない。子供がかわいい、普通の親なんだ」と挨拶していることからもそれを感じることができます。

 

中学校での三者面談の時、「進次郎君には、もっとリーダーシップをとってほしい」と担任の先生は言ってきました。

それに対して純一郎氏は、「進次郎はこれでいいんです。 私も父親が政治家だったから進次郎の気持ちがわかる。 いいことをやっても悪いことをやっても目立つから、あまり目立たないようにしようと思うんでしょう」 と言ってくれたといいます。

自分の事を本当によく理解してくれていると、このエピソードに対して、進次郎議員は嬉しそうに語っています。

この話題は、小泉進次郎議員が度々語っているので、彼にとってこの体験がどれだけ印象深く心に刻まれた内容だったか伺い知れます。

 

親子に限らず、自分を理解し信頼してくれる相手に対しては、こちらもその相手を信頼しますし、相手の願いに応えたいという思いに自然となります。

国会で活躍するどこか遠い感じのする父と、自分を信じて理解してくれている父という二つの父親像が、強く結びついた瞬間だったのかもしれません。

正に小泉進次郎議員にとって、小泉純一郎氏は憧れの存在なのです。と同時、政界入り後に「いまだに、親父に教わったことは一切ないですね」と語っているように、ベッタリとしてた関係でもありません。

宮本武蔵は、「仏神は尊し、されど頼まず」といいました。 小泉進次郎議員にとって、「小泉純一郎は尊し、されど頼まず」といった感じなのでしょう。

   『小泉進次郎議員の学歴は?

小泉進次郎と安倍首相

ちょっと遠回りした感じもありますが、小泉純一郎氏を介して安倍首相と小泉進次郎議員をそれぞれみてきました。

二人の関係に関してのインターネット上の主な意見は、徐々に力をつけてきている小泉進次郎議員を警戒する安倍首相という論調が中心です。

小泉進次郎が初当選したのは、結果的に自民党が野党に転落した2009年の第45回衆議院議員選挙でした。 

小選挙区で当選した議員は、小泉進次郎議員を含めて4人しかいません。

小泉進次郎 初当選

これはある意味、小泉議員が非常に運勢を持っているというふうに考えられます。

というのは、今までのように与党自民党で、新人議員が数十人も当選してきた場合、いくら元首相の息子であってもその他大勢の中の一人に過ぎません。(第46回衆議院議員選挙では、自民党新人議員の数は119人)

 

ところが自民党は与党から転落した野党の立場になりました。 

改革の必要性が生じ、今までの慣習にとらわれていたら、このままずるずると野党の位置に甘んじかもしれないという危機感を持ちます。

正に改革の必要に迫られて、若手でも台頭できる状況の中で、当選してきたのです。

更に小泉議員は、当時まだ30歳にもなっていないのに、落ち着いた雰囲気と父・小泉純一郎氏を彷彿とさせるスピーチ力を持ち合わせていました。ついでに言うと、イケメン。

マスコミだけでなく、国会議員の間でも徐々に評価が高くなっていきます。

 

当選翌年の2010年の参議院選挙では、現在の東京都知事である小池百合子広報部長(当時)から、選挙用の自民党CM出演依頼を受けました。

それに対して小泉議員は、「自分が言いたいことを言わしてもらえるなら」と要求し、了承されています。

この言葉は全部、本人が考えたものです。その時のCMがこれです。

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2012年の自民党総裁選では、結果的には安倍晋三議員が石破茂議員を破って自民党総裁に選ばれましたが、小泉進次郎議員は結果がわかってから石破茂議員に投票したことを公言しています。

総裁選への影響の大きさから発言を控えていたというのです。

  『石破茂は総理大臣になれるか?』

 

他にも、たとえ自民党の重鎮から選挙応援を頼まれたとしても、自分自身の主張と違う事を言わなければならない沖縄選挙区や、世襲議員が初出馬する選挙区には、あえて応援演説には行かないと断るなど自分の考えをしっかりと伝えています。

古参の議員にとっては、これは相当、生意気と映るかもしれませんが、話の筋が通っているのでそれ以上何も言えません。

 

そのように年々、存在感や発言権、注目度そして実力が上がっている小泉進次郎議員です。 

せっかちな人は、「次の首相は難しいにしても、次の次は小泉進次郎が首相だ」と言う人もいます。

現在、自民党総裁の任期は、1期3年で3期まで可能です。 安倍晋三自民党総裁は、2012年9月26日に就任したので、あとおよそ1年半で2期目の任期が終わります。

このまま順調にいけば、安倍首相は3期目も立候補するでしょう。 もちろん、2018年9月の総裁選には何人かの候補で競い合う事になる可能性はあります。

 

これは個人的な考えですが、安倍首相は決して小泉進次郎議員を警戒したり嫌ったりしているのではないと感じます。

安倍首相&小泉進次郎

安倍晋三という議員は国会議員としては、一度死んだ身です。 

色々な背景はあるにせよ一年で無様に政権を放棄したのです。普通であればもう一度、檜舞台に上がる資格がないともいえます。

ではなぜ復活してこれたのか?

 

それは、『私』を脱し『公』のために生きると覚悟したからです。 

「時代が必要としているのであれば、この身を捧げる」その思いから、まだ早過ぎると言われた2012年の総裁選に出馬したのです。

と考えるならば、問題は、小泉進次郎議員がでしゃばりだとか、人気があって気に食わないとかそんなレベルの話ではなくて、本当にこの日本の為の政治を行ってくれる人物なのか、見極めようとしているのだともいえます。

 

現在、小泉進次郎議員は自民党の農林部会部会長として全国の現場を駆け巡っています。今後、安倍首相は小泉議員をどのような形で用いていくのか注目です。


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