片岡鶴太郎はなぜお笑い芸人から画家へと転身したのか

片岡鶴太郎 メディア・著名人関連

近頃は、テレビ出演が減って、たまにしか見かけなくなった片岡鶴太郎ですが、現在は画家としての活動に力を入れています。

この挿絵の川上犬(長野県の猟犬)は、片岡鶴太郎が描いたものです。 
子犬の無邪気な表情と佇まいに、癒しを感じる作品です。

この挿し絵の本は、『心に響く小さな5つの物語』といいます。

  涙腺注意⇒ <心に響く小さな5つの物語「縁を生かす」> 

お笑い芸人から、役者そして画家へと転身(役者は現在も継続中)していった片岡鶴太郎は、最初から絵画への関心や画家としての才能があったのでしょうか?

どうやら、そうではないようです。

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片岡鶴太郎の若い頃

東京の下町に生まれ育った鶴太郎は、寄席好きの父親の影響で、漫才や物まねを見る機会が多く、自然と芸人への憧れが強くなっていきました。

高校を卒業後、声帯模写の片岡鶴八に弟子入りし、下積み時代を経て、やがてTVのお笑い番組『オレたちひょうきん族』などで、ブレイクします。

ビートたけしや明石家さんまとのからみでは、いじられキャラとして人気を集めました。

また、ダチョウ倶楽部の上島竜平が得意としている、熱いおでんを熱がるリアクション芸は、もともと片岡鶴太郎が始めた芸です。

『オレたちひょうきん族』の人気コーナー『ひょうきんベストテン』では近藤真彦の物まねで人気を博し、坂上二郎や具志堅用高の物まねも得意としていました。

芸人と役者

芸人として名前が売れるようになった30代初めに、子供の頃から好きだったボクシングのライセンスを取り、その頃を機に、役者の世界へと足を踏み入れていきます。

それは片岡鶴太郎が、芸人としての限界を感じていたからでもあります。

役者としては、トレンディドラマの『男女7人夏物語』やNHK朝の連続テレビ小説、NHK大河ドラマにも出演しています。

また映画では、1989年に放映された『異人たちとの夏』で、日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞を受賞しました。

後に片岡鶴太郎は、こんなことを言っています。

「さんまさん、たけしさん、紳助さんがいたからこそ、客観的に自分のことを値踏みできた。(芸人として)俺のやる場所はない。埋め尽くされてる」

そうはいっても、他人からすれば順風満帆に見えていた片岡鶴太郎の人生ですが、30歳代後半になると人生の過渡期を感じるようになります。

画家になる転機

よく芸能人が、「実は、数年前にうつ病を患っていた」とカミングアウトする記事がでることがありますが、片岡鶴太郎自身もそんな状態だったのかもしれません。

ある朝、鶴太郎が仕事に出掛けようと外に出ると、背後に気配を感じました。 
振り返ると、そこには赤い椿の花が、凛と咲いています。

その存在感に感動した鶴太郎は、この椿を何とか表現できないかと思い、絵を描くことを決めたといいます。 

ただ、文房具屋で道具をそろえ、すぐに描いた赤い椿は、とても見られるような代物ではありませんでした。

でも心折れることなく鶴太郎は、この出会い(縁)を活かして絵を描き続けます。 

対象の良いところや特長を引き出して表現するという点では、物まねと絵画の世界は共通している部分があるのかもしれません。

現在、全国4ケ所に片岡鶴太郎美術館や工藝館を開き、2020年は画業25周年の節目の年として、『片岡鶴太郎展 顔 – faces –』を開催しています。

65歳となり、これから作品にますます円熟味が増していくのではないかと思われます。

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