自民党の政調会長に就任することが決まったのは、前経済産業大臣だった萩生田光一議員です。
自民党のジャイアンと一部の議員から言われているようですが、それは体型が似ているからなのか、それとも押しの強さからなのか、たぶん二つの要素から付けられたものなのでしょう。
萩生田議員が、亡くなられた安倍元首相を兄貴のように慕っていたことは有名です。
文部科学大臣、経済産業大臣を経て、今度は自民党の党四役である政調会長を任されることになった萩生田議員は、間違いなくその上を目指していることでしょう。
今回、萩生田光一議員の所属する派閥や安倍元首相との関係について、色々と調べてみたいと思います。
萩生田議員の派閥
萩生田光一議員は、『清和(せいわ)政策研究会』に所属しています。
いわゆる “安倍派” です。
安倍晋三さんは既にお亡くなりましたが、まだ後継者となる人が決まっていません。
現在、清和政策研究会は自民党内の最大派閥で、国会議員が100名近く所属していますが、どの人物も一長一短があり、安倍元首相の後継者と認められていません。
安倍元首相銃撃事件後、初となる清和政策研究会の総会が、7月21日に党本部で開催されました。
その場では、派閥名称を変えないこと、後任の派閥会長は空席とすることなどが正式に決定しています。
清和政策研究会の起源は、1962年までさかのぼります。

岸信介首相が率いていた派閥が分裂し、後に首相となる福田赳夫氏が立ち上げたのが、清和政策研究会(立ち上げ時は別称)です。
歴代の会長は、小泉純一郎氏や森喜朗氏が務めました。
清和政策研究会としては、初代の福田赳夫氏と安倍晋三氏を含め、5人の首相を輩出しています。
派閥内のライバル
清和政策研究会の総会で、次の派閥会長を決められなかったと書きました。
それでは清和政策研究会には、萩生田光一議員のライバルとなる国会議員に、どんなメンバーがいるのでしょうか。
・下村博文衆議院議員
・塩谷立衆議院議員
・西村康稔衆議院議員
・世耕弘成参議院議員
下村博文議員と塩谷立議員は、清和政策研究会の会長代理を務めています。
当選回数はそれぞれ、下村議員が9回、塩谷議員が10回のベテラン議員です。
二人とも大臣経験は、文部科学大臣のみです。
前回の選挙で塩谷立議員は、小選挙区では立憲民主党の議員に敗れ、比例復活での当選でした。
選挙区で勝てない国会議員が、組織のトップに立つのはまず無理です。
西村康稔議員は、当選7回で通産省(現・経済産業省)出身の議員です。
『西村康稔大臣の人柄や評判を確認』で書きましたので、ここでは省略しますが、西村康稔議員は事務局長として力を発揮するタイプのような気がします。
世耕弘成議員は現在、参議院議員5期(和歌山選挙区)で、自民党参議院の幹事長を務めています。
上のポジションを狙うために参議院から衆議院への鞍替えを狙っています。
ただし1票の格差是正のために、衆議院の和歌山県選挙区が3つから2つに減る予定ですので、そこに入り込むのは簡単ではありません。
安倍晋三元首相との関係
冒頭で書いたように、萩生田議員と安倍さんはとても近い関係にありました。
過去には、安倍さんと川口湖畔の別荘でバーベキューを楽しむ姿を、萩生田議員はブログに載せたりしています。
安倍さんが亡くなった後のメディアのインタビューでは、大臣として忙しかったため、「ゴルフを誘われ、3回断ってしまったことが後悔」と語っていました。
同じ自民党東京都連の平将明議員は「安倍元首相から圧倒的に信頼されている」と言っています。

安倍さんとの最初の出会いは、萩生田議員がまだ八王子市議会議員の時のことでした。
1997年か1998年頃の話です。
萩生田議員が地元で北朝鮮による日本人拉致の陳情を受け、その取った対応に朝鮮総連からクレームをつけられてしまいます。
困った萩生田議員が自民党本部に相談したところ、「萩生田さんの言ってることは間違ってはいないから」と対応してくれたのが、当時の安倍さんでした。
その後も、市議会議員から都議会議員に立候補した2001年の時、選挙応援に自分から駆けつけてくれたのが安倍さんでした。
萩生田議員が国会議員になった2003年からは、安倍さんと同じ清和政策研究会(当時は森派)に所属しました。
1954年9月生まれの安倍さんと、1963年8月生まれの萩生田議員の歳の差は9歳です。
安倍さんにとって萩生田議員は、思想信条が共通するかわいい弟のような存在だったのです。
萩生田光一・政治家の原点
政治家を目指した原点は、“ぼっとん八王子” にあると、萩生田議員は言います。
このワードだけだと、ちょっと何のことかわからないですね。
高校の授業で基盤整備の話になり、「家のトイレが汲み取り式の人?」と聞かれた際、手を挙げたのが45人のクラスで萩生田議員一人でした。
そこで皆に言われたのが、“ぼっとん八王子” です。
『汲み取り式のトイレ』といっても若い人は、ピンとこないかもしれません。『水洗トイレ』になる前のトイレのことです。
萩生田議員は悔しさもあり、「何で俺の家はトイレが汲み取り式なのか」と母親に聞くと、それは下水道が整備されていないからだと説明されました。
納得がいかな萩生田議員は、すぐに八王子市役所に電話で「僕の家は、いつトイレが水洗になるのでしょうか」と問合せします。
そこで下水道課の人が丁寧に、「萩生田さんの家は○○地区なので、昭和67年から供用開始です。」と教えてくれました。
昭和52年のことです。
「15年後…。」
「八王子ってこんなに東京都心から比べると遅れているのか」と強く思ったそうです。
この東京都内の格差を、少しでも早めることができる仕事は何なのかと考えた時に、それが政治家だとの結論に至ったのです。
大学生になってからのエピソードとして、こんなこともありました。
飲み会があっても自宅(八王子)が遠く、皆よりも終電の時間が早いため、先に切り上げて帰らなくてはいけないことに不満を持ちました。
そこで国鉄(現在のJR)に電話をして、終電の時間をもっと遅くしてほしいとお願いします。
さすがに国鉄は受け入れてはくれませんでしたが、別の経路を教えてくれて、その分遅くまで飲み会に参加できるようになったということです。
この二つのエピソードから、萩生田議員は青年の時から、問題やトラブルがあれば解決のために、迅速に行動を起こす人物であることが垣間見えます。
自民党は同じ党内でも、思想信条が大きく異なる議員が存在します。
親中・親韓の議員もいれば、この二か国にはもっと是々非々で厳しく対応するべきという議員もいます。
また財政政策でも、財務省の影響を強く受けた緊縮財政派の議員もいれば、長いデフレ下の日本にとって成すべきは積極財政であると主張する議員もいます。
政調会長の重責をどのようにこなしていくのか、萩生田議員が上を目指すためのよい試金石になるでしょう。
総理大臣になる可能性
総理大臣になれる可能性が、萩生田光一議員にはあるのでしょうか。
萩生田光一議員の場合、総理大臣を目指していることは間違いないと思います。
銃弾に倒れる以前の安倍元首相は、総理大臣を目指すためにも萩生田光一議員をいったん自民党内もどし、自民党議員をまとめ政策立案能力が試される政調会長にしたかったといいます。
これは、青山繁晴議員が動画『ぼくらの国会』の中で、語っている内容です。

そして安倍元首相が、萩生田光一議員に派閥の会長候補の一人として、大きな期待を寄せていたことも合わせて話をしています。
『戦後レジームからの脱却』『日本を取り戻す』『誇り高い日本』という観点で、萩生田光一議員と安倍元首相の間には共通の目指す理想があります。
今回の安倍元首相銃弾事件をきっかけにして、自民党と旧統一教会との関係が問題視されています。
萩生田光一議員にも、旧統一教会のイベント参加や選挙協力を依頼していたのではないかとの疑念がでています。
この旧統一教会問題をクリアにして、政策で自民党内をしっかり取りまとめることができれば、萩生田光一議員もやがてはポスト岸田の一角を担うことができるのではないでしょうか。
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